ながされてたThailan島

タイに飛ばされてたり帰ってきたりしたけど、私は元気です

タイ抑留n日目…まだか、夜明けは…

転職に至る病

ちょうど1年前が前職最終出勤日だった。

まとめようと思って既に1年経っているのでいい加減に転職についてまとめたい。

労なんていらねえよ、夏

2023年7月6日、Underworldの来日公演がキャンセルになったその日、せっかくの有休を持て余して居酒屋で飲んでた。店は18時を回ったあたりから客がどっと増え、世間一般は平日でもこの時間には仕事上がって飲んだりしてるんだ…と驚いた。その頃は20時に退社できれば早い方で、23,24時が当たり前という状態。いやはや自分の働き方の世間ズレぶりを思い知らされた。

そんな生活は続き11月の中頃、いよいよ布団から出れなくなった。ただの肉体的疲労ではなかった。心身が動かないんだね、マジで。その日は休んだ。そしてこのまま続けるとあと1、2ヶ月で心身ぶっ壊れると確信した。

転職に至る理由

12年も会社にいると仕事も環境も少しずつシフトしていく。

が、自分にとってそれはモチベーションダダ下がりのつまらない方向への変化だった。

産業構造的にクソ

就活の時はインフラ関係は社会貢献に通じる仕事ができるとか寝ぼけたこと言ってたが、実際のところ責任だけあってもその労働環境はゴミである。

残業は常態化し、働き方改革の気配もいつの間にやら霧散した。長時間労働の根本は結局インフラ事業の構造的な問題にたどり着く。顧客の立場だけ圧倒的に強く、メーカーサイドは下手すれば50年前の案件でもアフターサービスの責任を負わされる碌でもない業界である。昔は相応に金払いも良かったので成り立っていたようだが、東日本震災を経て顧客は輪をかけてケチくさくなっている。利益が出るなら案件絞っても事業は成り立つだろうが、そんな選り好みができるような技術のある会社でもないわけで、結局案件の数だけ増やし、人のいない設計サイドに丸投げしてくるのだから、低い利益率のまま現状維持だけでいっぱいいっぱい、この先人的・物的改善の見通しがなかった。

つまらん仕事はやっとられん

終盤の2年くらいは上のおっさんを喜ばせるためのくだらんプロジェクトにアサインされて辟易した。辻褄合わせのパワポ職人業とどんどん参加者の減る会議で、いったい自分は誰に対して仕事をしているのか?元から低いモチベは下限値を更新していくのであった。

加えて中間管理職もどきまでやる羽目になったから酷かった。自分の進捗は自分でコントロールする。決めた日付に間に合わせる。これを全員が守れば、なんの問題もないと思ってる自分に、中間管理職もどきの適正はないと思ってたし実際無かった。他人の進捗の責任を負わされるなんて全く向いてなかった。この先もこんなことやってられんと思った。

そういうわけで本職と思っていた設計に関わることはなくなり、ひたすらつまらんことにばかり時間を浪費させられた。12年間自分は設計者だと思っていたが、そのアイデンティティは崩れた。

転機というかライフステージ的なアレ

子供が1ヶ月後に産まれるのに転職かよ、と思うところは自分でもあった。とはいえ子が生まれてからの転職活動は困難だし、ある程度手が空く頃には転職しようにも年齢的にデッドラインだと考えた。

それに子が生まれたらこの先20年は稼ぎがいるわけで、この会社でどう立ち回るか考えてもロールモデルもなかったし、この先身を置きたいと思えるポストが見当たらなかった。

と諸々の事象から、元から低かったモチベーションは輪をかけてダダ下がり、さりとてこんな環境を変えようとしても自分が消耗するだけ。となったら、転職しよう。

転職活動の経過

11月下旬

転職サイトに登録したら連日スカウトメールが飛んできた。が、結局はいい感じの求人を引っ張ってきてくれそうなエージェント見つけなきゃ先に進まないわけで、提示してくる求人や業界が自分の志向にあってそうなエージェントにアポを取ってからがスタート。

12月初旬

初めに転職エージェントにコンタクトを取った。今の転職ってすごいシステマチックで、初回だけ事務所で面談したけどあとは電話とメッセンジャーアプリのみ。

履歴書、経歴書については前回の転職活動時に作ってたものを手直しして提出。この過程でちょっと星乃珈琲店の常連になりましたね。

12月中旬

書類選考の結果が出始め、web面接が始まったのが12月最終週。何社かで13年ぶりにSPI受けたがあれはいつ受けてもキツい。

1月初旬〜中旬

月初に1次面接が大方終わり、2次面接を受け内定の連絡が20日頃。

1ヶ月半ほどで転職活動は終わった。

1月下旬

上司に退職の意向を伝えそのまま育休突入。

2月

引っ越しに向けて家財整理、部屋探し。3月退職4月入社は時期的に切りはいいが、費用的に引っ越しのタイミングとしては最悪である。

反省とか

転職活動の結果について

今回はエントリー24社、書類通過6社で内定3社、不採用2社。選考辞退1社。リーマンショック後の就活を経験した身としては随分状況は好転していると感じたが、それも一過性だったのか今はまた違うかもしれん。

結果的に転職前後で

残業:月60〜70時間→10〜15時間

年収:12%減(残業代が無くなった)

就業形態:原則出社→リモート勤務可

残業がほとんどなくなったのと勤務時間の自由度が大幅に増して心にゆとりがもてるようになった。 それにしても事業の粗利が前職と違い過ぎて笑っちゃう。そりゃ人的投資にもすぐ動けるよなあと。 やっぱり稼いでる事業に乗っかるのがベストです。

転職エージェントについて

結局コンタクトを取った転職エージェントは2社。複数の転職エージェント使うのが普通らしいけどどうなんだろう。紹介される求人の幅を広げるにはエージェントも多いほうがいいが、エントリー数増やしまくると、通過したら通過したでその後のスケジュールに苦労するし、相応に志望理由を考える羽目に陥るし、良く考える必要があり。

月並みですがレジュメ作成は念入りに。業務経験、部下育成経験とか具体性をもって書いた方がいいですね。盛らずに語れる程度の経験があったのは前職で良かったところですかね…タイ飛ばしとか…

企業選定について

入ってみないと分からないことは山ほどあると思うが、直近のIR情報、事業セグメントレベルでの動向、利益率は高いに越したことはない。Openwork、前職の悪口書いておくと他の口コミ読めるのでおすすめです(おい

退職手続きについて

退職にあたって色々と精算ラッシュが続いた。

ざっと書くと以下の通り。

・退職金

・企業年金脱退一時金

・確定拠出年金移管

・財形貯蓄解約

・組合積立金

・退職月給与控除

ハナから期待してなかったけど勤続12年だと退職金はすずめの涙。

確定拠出年金については一度iDeCoに移管して、そこから転職先の確定拠出年金に再移管した。支給は定年後なので現時点では特に金の出入りはなし。

財形貯蓄は会社の家賃補助の支給条件になってたので渋々始めたが、4年継続して元本285000円が利子55円プラス、そこから解約手数料と振り込み手数料差し引かれて戻ってきたのが284120円。結局元本割れしてんじゃねーか。やっぱり投資信託に回した方が万倍マシだったね。

組合積立金は毎月謎な理由で差し引かれてたがようやく取り戻せた。転職先の組合じゃこんなのやってないしマジで謎制度だった。

で、3月の給与だけど、給与控除は社会保険料が2ヶ月分+住民税が3ヶ月分差し引かれて振り込み額が凄まじいことになってた。自分の場合引っ越し費用も発生してたので3月の収支はマイナス。蓄えがないと死んでたね。

そして給与天引きだった住民税だが、次年度の住民税は1/1に住民登録している自治体に支払うのだが、転職先で給与控除にはならず振込票が届いて自分で納付する。月々だと気づかないけど一括納付すると結構な額を払っていることに気づかされた。

まとめ

あのまま前職に残ってもメンタル破壊されてたか、あの環境に最適化されただけの異常者になってしまってたので、転職は正しかったと思っている。

いざとなれば転職という選択肢を選べる、という心持ちを得たのも大きいと感じている。ひどい環境を我慢して潰れるよりさっさと抜け出すという方法は十分意義ある選択肢である。無論転職にも相当エネルギーは使うのだけど。

転職を通じて汎用的スキルを身につけることの重要性に気付けたのも大きいと思う。常に10年先にこの会社に残っているか?他でも生きる汎用的なスキルを持っているか?を考えておかねばならない。次の10年先を考えて少しでも潰しの効くスキルを習得することって必要だと思った。