ながされてたThailan島

タイに飛ばされてたり帰ってきたりしたけど、私は元気です

タイ抑留n日目…まだか、夜明けは…

KOSS Porta ProのDIY修理(の失敗)とドライバ交換

PortaProがぶっこわれた

10年使ってきたKOSSのPorta Pro、急にL側から音が出なくなった。

構造的にケーブルの根元で断線しやすいらしい。ちょくちょく引っ張り応力かけてたし、むべなるかな。

開放型かつ軽量で長時間つけても楽、唯一無二のレトロデザインが気に入っているので、新品に買い直すかなあと思うが…

当時3700円くらいで買ったのに、今や売値は倍くらいで円安やらインフレがすごい…

で、結構DIYで修理してる人がいるっぽくて自分でやってみることにした。 どうせやるなら単純にケーブルの接続を直すのではなく、mmcx端子付けてデタッチャブル化をすることに

ということでハンダゴテセット、テスター、ハンダゴテスタンド、放熱クリップ、エナメル線、mmcx端子、mmcxケーブルを発注。

さあ、道具が揃った。(新品買った方が早そうという意見には目を瞑ろう)

復旧作業

では作業開始

ヘッドバンドからドライバユニットだけ外して、LRの印をつけておいた

カバーを外し、ケーブルと本体のハンダ付け箇所がこうなっている。 明らかな断線はないんだがなあ…??

テスター当てた結果、ドライバの左端子がアース線、右端子がLR信号のようです。

はんだ吸い取り線を使って、ケーブルのハンダ付けを除去

予備ハンダをmmcx端子とエナメル線に施す。

それから端子とエナメル線をハンダ付

ドライバと端子を接続

ここまでできたので、導通チェックを行う。

MMCX端子からドライバ接点まで導通は確認できたの半田付けは問題なし。

中学校技術の時間以来25年ぶりの半田付けだがなんとかなった。

いよいよプレーヤーにつないで動作確認するわけですが、

………

R側正常

L側無音…

あれ、なんでぇ???

しようがないのでドライバの抵抗値をチェック(←最初にやれ)

ドライバの抵抗が仕様値60Ωに対して、R側実測値55Ωで大体正常。L側は抵抗がでない…

これ、そもそもドライバ死んでますね…

結局ここまでの作業、無駄骨折りでした…

ついにアリエクに手を出す

ここまで来て引き返せないので、Aliexpressで互換ドライバーを発注。

セキュリティ的に信用してなくてこれまで中華ECは避けてきたが、修理部品はここにしかない…

ということでポチー

もう戻れないね。

4日後、大陸より遥々到着

互換ドライバが初回割引入って629円。

ぱっと見オリジナル(右)と同一に見えるけど、成形若干違うんだな

ごちゃごちゃ半田付けとかしなくても、既にmmcx化が済んでいる有難い仕様。 最初からこうしておけばよかった…とは言ってはいけない

別途買ってたYAXYのイヤースポンジ取り付けます

これまた別途買ってたmmcx中華ケーブルとヘッドバンドに取り付けまして完成

オレンジのスポンジで80年代感が増していい感じですね。

動作は正常。音に関して差異はほとんど感じないんだけど、いくつかの曲で高音が割れ気味。

ながら聴きなら十分ですが、完全同一とはいかなそう。

PortaProぶっ壊れて新品買うほどでもないって人にはアリな選択だとは思います。

費用まとめ

ここまでの修理費用のまとめです。

エナメル線      ¥312

PortaPro互換ドライバ ¥716

mmcxメス端子    ¥710

mmcxオス端子    ¥517

mmcxケーブル    ¥899

YAXYイヤーパッド  ¥1240

ハッコーハンダゴテ  ¥977

ハンダゴテホルダー  ¥734

ヒートクリップ    ¥244

デジタルテスター  ¥1400

合計        ¥7749

新品買うより高くついとるやんけ、とは言ってはいけない…

今後は壊れたドライバ分解して故障箇所調査(あわよくば復旧)、オリジナルケーブルのMMCX化をやりたいと思います。

フジミDC5ホンダインテグラ製作記 その5

インテグラ製作記の続きです。

ウインドウ黒枠の塗装

最近のカーモデルは窓枠マスキングシールが付属してるらしいが、20年前のキットにそんな気の利いたものついてるわけもなく、こんな感じで、マステの切り貼りで枠状にした。

で、塗装するんだけど、こう接ぎ目が多いと…浸透してまあこうなるよね…

ということでリワークです。

失敗したマステをバラけないように剥がし、型紙として再利用。型紙に合わせてマステを切り貼りして継ぎ目の少ないマスキングを構成した。

再塗装後、いい感じ

どうでもいいけどこの黒い枠のことを黒セラっていうのね。知らんかった。

3Mのマスキングテープを水性ホビーカラーの上に貼ってはいけない

前回まででシルバーで全体塗装し、クリアー磨きの結果いい感じの光沢が出たので、次はボディ側ウインドウ枠塗装に移ったわけですが

写真撮ってなかったのでアレですが、磨いたクリアー層にテープ跡が残って無惨なことに。 ということで、クリアー塗り直しです…

ようやく完了。なんやかんやでボディ塗装に2ヶ月以上かかったわけですが…

マスキング後の塗装面の荒れについて

1)下塗り層の乾燥不十分説

2)熱乾燥して柔らかくなった下塗り層がマステでダメージを受ける説

3)マステを長期間貼ってると起きる説

4)吹き付けてる塗料の溶剤成分が浸透してる説

と諸説あり、真因がわからないのですが、今後の対策として

・水性ホビーカラーの完全乾燥(1週間程度)まではマステは貼らない

・3Mのマステは使わない(低粘着を使う)

・マステの貼りっぱなしはしない

ということにした。

ことさらクリア膜が弱いという気もするが、やる気のある人検証してみてください。

つづく

フジミDC5ホンダインテグラ製作記 その4

まだまだ続くインテグラ製作です。

本体塗装

シルバーの下地は黒がいいという情報を得て、一度ミッドナイトブルーで下地塗装(黒持ってなかったので)

で、ばっちり決めたいと思って、水性ホビーカラーのスーパーファインシルバーという通常のシルバーよりお高い塗料で塗ってみたわけですが…

なーんかコレジャナイ感…

ギラついた金属光沢というかなんというか、スーパーファインシルバーの金属っぽい質感はすごいんだけど、車のシルバー色ってメタリック粒子が粗くウソっぽい銀色なので、質感はノーマルのシルバーの方が近いんだよな…

ということで塗り直しです…とほほ

シルバー再塗装と研ぎ出しに備えて毎週末ひたすらクリアー塗膜を5,6層重ねる。

1000番から10000番までスポンジやすりで研磨し、コンパウンドで磨くこと数時間。なかなかいい光沢感に到達。

だが、この後起きる悲劇をまだ知るものはいなかったのであった…

続く

フジミDC5ホンダインテグラ製作記 その3

続きです。

各部修正

前回からのついでにパテ作業で気になったところを修正します。

実車に比べてボリューム不足を感じたサイドスカートにパテ盛り 結局5mmほど巨大化

なんか不自然だったフロントガラスモールドを一度パテ埋めして、エッチングソーでスジボリ修正。 0.5mmほど位置を修正

サフ吹き

色々造形修正してサフ吹きへ それっぽくなってきたかな?

まだ続きます。

フジミDC5ホンダインテグラ製作記 その2

さてインテグラ製作記その2です。

バンパー形状修正

各所で全然違うやんけ、と言われてるリアバンパーの分割位置。

そうはならんやろ…な分割なので、バンパーと本体を接着の上、内側にプラ板を補強接着

そんで接合線をポリパテで埋めて整形します。 同時に後期型のバンパーにすべく、ヘッドライト、テールライトの外形に合わせて造形されてる半円切り欠きも埋めます。

せっせと削ってフロント・リアの仕上がりが以下

初めてのパテ作業、まあまあ上手く行ったか?

リアスポイラーの自作

TypeRの大型リアウイングに対して、TypeSは申し訳程度にリアスポイラーがついてるだけで、ここが大きな差異なのでプラバン工作ででっち上げ。微妙に弧状にするため結局5分割して再接着 これがこうなって なんかデカすぎる気がしてひたすら削る

ライト改造

前期型2眼のモールドをプラパイプを埋め込んで3眼化すべく、エッチングソーで大胆に切除 案の定、大穴が開きました…

ポリパテ、エポパテ併用して穴埋め

まだ、つづきます

フジミDC5ホンダインテグラ製作記 その1

カッコインテグラを作るぞい

フジミDC5ホンダインテグラの製作記です。

このキット2023年の11月に入手して、そろそろ1年経つので作業進捗をまとめます。

カーモデル作ったことない上に、どうにもネットじゃロクな評判を見ないフジミのインテグラですが、一体どうなるのか…

あっ…(察し

開封編

とまあ楽観してたのも序盤だけ。

キットがTypeR前期型仕様なのでそれをかつての愛車だったTypeS後期型の車体色シルバーにしようというのが目標です。

やること

割と前期型と後期型は違っていて以下を実施。

・ヘッドライト、テールライトの3眼化

・リアスポイラー自作

・リアバンパー形状修正

・フロントガラス周り筋彫り修正

本当はフロントバンパー形状もちょっと違うんだけど大手術になるのでパス

パーティングライン除去

金型構成のせいですかね、結構目立つところにパーティングラインでますね。 せっせとスポンジやすりで削って除去

フロントエンブレム両側のラインも後期型に合わせて除去

つづく

転職に至る病

ちょうど1年前が前職最終出勤日だった。

まとめようと思って既に1年経っているのでいい加減に転職についてまとめたい。

労なんていらねえよ、夏

2023年7月6日、Underworldの来日公演がキャンセルになったその日、せっかくの有休を持て余して居酒屋で飲んでた。店は18時を回ったあたりから客がどっと増え、世間一般は平日でもこの時間には仕事上がって飲んだりしてるんだ…と驚いた。その頃は20時に退社できれば早い方で、23,24時が当たり前という状態。いやはや自分の働き方の世間ズレぶりを思い知らされた。

そんな生活は続き11月の中頃、いよいよ布団から出れなくなった。ただの肉体的疲労ではなかった。心身が動かないんだね、マジで。その日は休んだ。そしてこのまま続けるとあと1、2ヶ月で心身ぶっ壊れると確信した。

転職に至る理由

12年も会社にいると仕事も環境も少しずつシフトしていく。

が、自分にとってそれはモチベーションダダ下がりのつまらない方向への変化だった。

産業構造的にクソ

就活の時はインフラ関係は社会貢献に通じる仕事ができるとか寝ぼけたこと言ってたが、実際のところ責任だけあってもその労働環境はゴミである。

残業は常態化し、働き方改革の気配もいつの間にやら霧散した。長時間労働の根本は結局インフラ事業の構造的な問題にたどり着く。顧客の立場だけ圧倒的に強く、メーカーサイドは下手すれば50年前の案件でもアフターサービスの責任を負わされる碌でもない業界である。昔は相応に金払いも良かったので成り立っていたようだが、東日本震災を経て顧客は輪をかけてケチくさくなっている。利益が出るなら案件絞っても事業は成り立つだろうが、そんな選り好みができるような技術のある会社でもないわけで、結局案件の数だけ増やし、人のいない設計サイドに丸投げしてくるのだから、低い利益率のまま現状維持だけでいっぱいいっぱい、この先人的・物的改善の見通しがなかった。

つまらん仕事はやっとられん

終盤の2年くらいは上のおっさんを喜ばせるためのくだらんプロジェクトにアサインされて辟易した。辻褄合わせのパワポ職人業とどんどん参加者の減る会議で、いったい自分は誰に対して仕事をしているのか?元から低いモチベは下限値を更新していくのであった。

加えて中間管理職もどきまでやる羽目になったから酷かった。自分の進捗は自分でコントロールする。決めた日付に間に合わせる。これを全員が守れば、なんの問題もないと思ってる自分に、中間管理職もどきの適正はないと思ってたし実際無かった。他人の進捗の責任を負わされるなんて全く向いてなかった。この先もこんなことやってられんと思った。

そういうわけで本職と思っていた設計に関わることはなくなり、ひたすらつまらんことにばかり時間を浪費させられた。12年間自分は設計者だと思っていたが、そのアイデンティティは崩れた。

転機というかライフステージ的なアレ

子供が1ヶ月後に産まれるのに転職かよ、と思うところは自分でもあった。とはいえ子が生まれてからの転職活動は困難だし、ある程度手が空く頃には転職しようにも年齢的にデッドラインだと考えた。

それに子が生まれたらこの先20年は稼ぎがいるわけで、この会社でどう立ち回るか考えてもロールモデルもなかったし、この先身を置きたいと思えるポストが見当たらなかった。

と諸々の事象から、元から低かったモチベーションは輪をかけてダダ下がり、さりとてこんな環境を変えようとしても自分が消耗するだけ。となったら、転職しよう。

転職活動の経過

11月下旬

転職サイトに登録したら連日スカウトメールが飛んできた。が、結局はいい感じの求人を引っ張ってきてくれそうなエージェント見つけなきゃ先に進まないわけで、提示してくる求人や業界が自分の志向にあってそうなエージェントにアポを取ってからがスタート。

12月初旬

初めに転職エージェントにコンタクトを取った。今の転職ってすごいシステマチックで、初回だけ事務所で面談したけどあとは電話とメッセンジャーアプリのみ。

履歴書、経歴書については前回の転職活動時に作ってたものを手直しして提出。この過程でちょっと星乃珈琲店の常連になりましたね。

12月中旬

書類選考の結果が出始め、web面接が始まったのが12月最終週。何社かで13年ぶりにSPI受けたがあれはいつ受けてもキツい。

1月初旬〜中旬

月初に1次面接が大方終わり、2次面接を受け内定の連絡が20日頃。

1ヶ月半ほどで転職活動は終わった。

1月下旬

上司に退職の意向を伝えそのまま育休突入。

2月

引っ越しに向けて家財整理、部屋探し。3月退職4月入社は時期的に切りはいいが、費用的に引っ越しのタイミングとしては最悪である。

反省とか

転職活動の結果について

今回はエントリー24社、書類通過6社で内定3社、不採用2社。選考辞退1社。リーマンショック後の就活を経験した身としては随分状況は好転していると感じたが、それも一過性だったのか今はまた違うかもしれん。

結果的に転職前後で

残業:月60〜70時間→10〜15時間

年収:12%減(残業代が無くなった)

就業形態:原則出社→リモート勤務可

残業がほとんどなくなったのと勤務時間の自由度が大幅に増して心にゆとりがもてるようになった。 それにしても事業の粗利が前職と違い過ぎて笑っちゃう。そりゃ人的投資にもすぐ動けるよなあと。 やっぱり稼いでる事業に乗っかるのがベストです。

転職エージェントについて

結局コンタクトを取った転職エージェントは2社。複数の転職エージェント使うのが普通らしいけどどうなんだろう。紹介される求人の幅を広げるにはエージェントも多いほうがいいが、エントリー数増やしまくると、通過したら通過したでその後のスケジュールに苦労するし、相応に志望理由を考える羽目に陥るし、良く考える必要があり。

月並みですがレジュメ作成は念入りに。業務経験、部下育成経験とか具体性をもって書いた方がいいですね。盛らずに語れる程度の経験があったのは前職で良かったところですかね…タイ飛ばしとか…

企業選定について

入ってみないと分からないことは山ほどあると思うが、直近のIR情報、事業セグメントレベルでの動向、利益率は高いに越したことはない。Openwork、前職の悪口書いておくと他の口コミ読めるのでおすすめです(おい

退職手続きについて

退職にあたって色々と精算ラッシュが続いた。

ざっと書くと以下の通り。

・退職金

・企業年金脱退一時金

・確定拠出年金移管

・財形貯蓄解約

・組合積立金

・退職月給与控除

ハナから期待してなかったけど勤続12年だと退職金はすずめの涙。

確定拠出年金については一度iDeCoに移管して、そこから転職先の確定拠出年金に再移管した。支給は定年後なので現時点では特に金の出入りはなし。

財形貯蓄は会社の家賃補助の支給条件になってたので渋々始めたが、4年継続して元本285000円が利子55円プラス、そこから解約手数料と振り込み手数料差し引かれて戻ってきたのが284120円。結局元本割れしてんじゃねーか。やっぱり投資信託に回した方が万倍マシだったね。

組合積立金は毎月謎な理由で差し引かれてたがようやく取り戻せた。転職先の組合じゃこんなのやってないしマジで謎制度だった。

で、3月の給与だけど、給与控除は社会保険料が2ヶ月分+住民税が3ヶ月分差し引かれて振り込み額が凄まじいことになってた。自分の場合引っ越し費用も発生してたので3月の収支はマイナス。蓄えがないと死んでたね。

そして給与天引きだった住民税だが、次年度の住民税は1/1に住民登録している自治体に支払うのだが、転職先で給与控除にはならず振込票が届いて自分で納付する。月々だと気づかないけど一括納付すると結構な額を払っていることに気づかされた。

まとめ

あのまま前職に残ってもメンタル破壊されてたか、あの環境に最適化されただけの異常者になってしまってたので、転職は正しかったと思っている。

いざとなれば転職という選択肢を選べる、という心持ちを得たのも大きいと感じている。ひどい環境を我慢して潰れるよりさっさと抜け出すという方法は十分意義ある選択肢である。無論転職にも相当エネルギーは使うのだけど。

転職を通じて汎用的スキルを身につけることの重要性に気付けたのも大きいと思う。常に10年先にこの会社に残っているか?他でも生きる汎用的なスキルを持っているか?を考えておかねばならない。次の10年先を考えて少しでも潰しの効くスキルを習得することって必要だと思った。